価値あるものになるには時間がかかる、という話

20代の頃は、とにかく早さを求めていた気がする。
目標に向かって一直線、柵があったら飛び越えて、壁があっても乗り越えて、みたいな感じだった。

この歳になってくると「早いからってなんになる?」という思いが強くなってきた。
むしろ時間をかけて、まろやか〜に熟成されたものを好むようになってくるのだ。

何かの技術を身につけるのも、筋トレして健康になるのも、貯金や投資をして財産を作るのも、どれも一朝一夕ではできないことだ。
もちろん若くしてそれを獲得している人はいるけれど、そういう人に限って虚しさを抱えていたりもするのではないだろうか?

速さには脆さや薄っぺらさがどうしてもつきまとうものだ。
その脆さと軽薄さが魅力になったりすることも、もちろんある。けれど、それはやっぱり一直線が好きな若い人特有の魅力であって、自分みたいに年を取ってきた人間はあんまりそういうものを心から称賛できなくなってくる。どうしてもいろいろと見聞きしてきた経験がある分だけ、目が肥えているのだ。

審美眼、というほどたいそうなことを言っているわけではなくて。ただ、「これをするためには、相当な覚悟を持って長い間、頑張ったんだろうなぁ……」みたいなものがわかるようになるし、そういうものこそ、グッ、とくるようになるのだ。

それは時間をかけることへの偉大さを、自分の人生で心底痛感していくからだと思う。

いまは大量製造・大量消費の時代からすこし変わりつつあると思うけれど、なにかひとつを長く大切にすること、愛することが本当に自分の人生を豊かなものにするのだと、この歳になってじんわり理解できつつあるように思う。

まぁ、「これは一生ものだから」とか言って、無駄な服を買ったりしているだけな気がしてきたが……

時間をかけることでしか辿り着けない場所を目指して、コツコツ頑張るひとでありたいものだ。

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