
とくに意味もなく、高松に行ってきた。
(今年は、頑張ってブログを毎週くらい書きたいと思っている。去年からそう思ってはいる……)

高松に住んでいたのは20年近く前で、コロナのせいもあって通っていたお店がけっこう閉店していた。
街中のうどんやさんは相変わらず美味しくて、安かった。(4日間で8件もめぐって、もう今年はうどんはいいや、という気持ちになった)

偶然、エドワード・ゴーリーの展覧会がやっていたので寄ってみた。
ちょっと嫌な気持ちになった。

高松にはまだ、バブルの残り香を感じさせる、妙に世界観のあるお店がいくつかある。


そういうのはつくろうとおもってつくれるものではないから、好きだ。
街を歩くと、高松にいた頃の記憶がどんどん蘇ってくる。当時、自分はなにひとつ自信がなくて、けれど強がって、バイト先とかで周囲からずっと浮いていた気がする。自分がどういう人なのかを(自分が納得していないから)うまく説明できなくて、それがもどかしくて……みたいなことが、何気ない風景を見るたびに次々と呼び起こされていく。

夕方、8年ぶりくらいの友達に合う。いまはショートステイという、認知症などの高齢者が短期間だけ利用する介護施設で働いている、ということだった。
「絶対に自分が関わりたくないところだから、修行のためにと思って働き始めた」
とのことだった。相変わらずひねくれていて、そういうところが気が合うのだった。
ここ数年のお互いの人生の経過について情報交換していくと、どちらもコロナで大きく生活が変わっていた。自分は結婚したし、友達は実家を離れて一人暮らしを始めたとのことだった。

「たとえばだけど」と、ふいに最近ずっと気になっていることについて友人に聞いてみた。
「自分が人生の中で、『ああいうことは言うべきじゃなかった』みたいな後悔って誰にでもあると思うんだけど、そういうのって実際は、言われた方は完全に忘れてたりするよね。逆に、『自分はとても良いことをしたぞ』と思ってても、すっかり忘れられていたり、逆に(そこまではさすがに一度もないけど)恨まれていたりすることだってあるかもしれない。そういうことを考えると、人生というものがあやふやになって、わからなくなる時があるんだけど、どう思う?」
すると友人は、「わかるよ」と答えた。
「親とかでさえ、まったく自分と記憶がズレていたりする。その記憶はほぼ修正不可能だし、仮に修正するにしても膨大な努力が必要になるだろうし、修正したところで自分の人生にとってはまったく利益にならない、だからそのズレた記憶のままで運用が続いていく、みたいなことがよくある。歳を取れば取るほど、そういう『ズレ』みたいなものが増えてくる気がする」
それを聞いて、ああ、やっぱりそうなんだなぁ、と思った。人生で自分が影響できることって、若い頃に考えていたよりはるかに、全くといっていいほど、コントロール不能なのだ。それは時間が経てば経つほど、より複雑に絡み合っていく。まるで他人の記憶は、ひとりでに絡んでいく知恵の輪みたいなものだ。必死になってほどいたところで、なんのプラスにもならない。
「若い頃だったらそういうズレが耐えられなかったけど、歳をとるとそれも『そうかあ』みたいにやり過ごせるようになってくる」と、友人は言った。「初期の認知症の老人と常に一緒にいると、『そうかあ』と受け入れないといけないことが多いしなあ」
「そう。でも、そうやって違和感に慣れてしまって、誤解されてるのが当たり前、他人から相手にされないのが当たり前、ってのが行き過ぎてしまうのも、どうかと思うんだ」と、自分に言い聞かせるように、確かめるようにして言ってみた。
「わかってほしい、って、みっともなくあがかないと。10代とか20代の時みたいに。そんなことしても傷つくだけだし、やったところでたかが知れてるって、わかってはいても。それでも、って最近、よく思うんだ」
「また、いつか」
と言って、友達と別れた。なんとなく、もう会うことはないのかもしれない、と思った。
翌日、かつて働いていたお店に行ってみたら、更地になっていた。

おわり