
いつだったか、ある飲食店のコンサルタントのインタビューで
「お客さんからのアンケートを取った時に、『料理の量が多すぎる』というフィードバックがあったとします。それで、すぐに提供する量を減らそう、としてはいけません。実は量が多いのではなくて、味がわずかに薄いために、後半になるにつれ食べ飽きてしまっている可能性があるからです。そういう場合は、卓上の調味料のバリエーションを増やすことが本質的な解決につながったりします」
みたいなことが書いてあって、なるほどな〜、と思ったことがあった。
これと同じようなことが、シナリオでもあるよな……と思う。
ある作品で「話の整合性がおかしいと感じた」という感想があった場合。すぐに「設定の辻褄が合うように細かい補足を入れて、設定を説明するシーンをさらに挿入して……」というアプローチで修正すると、余計にややこしくなっただけ、という結果になったりする。そこで修正が手詰まりになって、どうしていいかわからず頭を抱えてしまい……ということになる。(自分も過去に、数えきれないほど体験した……)
そういう時、「話の整合性を整える」という観点ではなく、「そもそもその展開が面白くないから、話の整合性とかの細部のずれに目を向けさせてしまっているのでは?」という観点で再考してみると、スルッと解決したりする。
映画とか漫画とかで「待ってました!!」的な展開の時って、設定の細部とか小さな破綻には目が向かないことが多い。「細かいことより、そのシーンを見たい欲求が勝っている」からだ。逆に期待外れの展開の時こそ、「これってなんか、話の整合性がおかしくないか……?」みたいな細部が気になってしまう。
現実と比べて何かが大きく破綻しているからこそ、物語は面白くなる。完璧に整合性を取ることに注力しすぎると、その勢いみたいなものが削がれてしまいかねないのだ。
そもそも、受け手側の感想にそのまま従ってしまうのは、より良い修正にならないことが多い、ということを念頭に置いておく必要がある。
マクドナルドでアンケートを取ると、「サラダを増やして欲しい」という意見が多いけれど、実際に販売してもあまり売れない、ということが実際にあったらしい。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=78401?site=nli
マクドナルドがなぜ消費者に求められているか、という本質と、消費者の合理的に行動するべきという意思との間にギャップが存在し、消費者は必ずしも合理的には行動しないことが露呈した顕著な例
(自分を含めて)プロの専門家でも、ある作品の違和感や欠点の修正案を、正確かつ的確に言語化することは極めて難しい。ネガティブなフィードバックを素直に受け止める柔軟さは大事だけれど、その意見がどうして発生しているのか、どう作品に落とし込んで品質を上げていくかは、いくつも視点を変えて考えなくてはいけない。
その力を養うためには、普段から多角的な視点を持ち、本質を深く考える癖をつけることが大事だ。さもないと、修正指示に翻弄され、修正するたびに作品の破綻が大きくなっていき……という悲劇を繰り返してしまう。
とはいえ自分もいまだに「これって本当に面白いのか……?」と毎日、不安になるんだけど……