実家の団地の屋上に登るのは、いつ以来だろうか。
父が死んだあとずっとひとり暮らしだった母が亡くなり、葬儀がひと段落して、私は柄にもなく感傷的になっていた。
空は、燃えるような美しい夕焼けだ。かつて両親とともにこの団地の屋上に上がり、ブルーシートと七輪を持ち込んでバーベキューをしたものだ。
魚や肉は高くて買えやしないから、ソーセージやえのき茸を炭火で炙って食べる。服に染み付いた灰の香りと、酒臭い親父の汗ばんだTシャツの臭いが脳裏に蘇る。
「ユウジクン?」ふいに声が聞こえ、振り返る。
「雄二くん、だよね?」再びの問いで、私の記憶が呼び覚まされる。
間違いない、幼なじみの美緒だ。
「帰ってきてたんだね」美緒はあの頃と変わらない笑顔でこちらを見つめている。
「ああ、そうだよ」私は冷静を装って応える。「久しぶりだね」
「何年ぶりだろ! もう、声かけてくれたら良かったのに!」
「ごめんよ。驚かそうと思って…いや」私は言葉を飲んで、言い直す。「本当は君に会って、なんて言えばいいかわからなかったから」
「バカね、いつも通りでいいのに」
私は何から話せばいいか迷い、言い淀む。伝えたいことは山ほどあったはずなのに。
「君に見せたいものがあるんだ」ふいに言葉が、意識に先立って零れ落ちる。
私は屋上に持って来ていたものをポケットから取り出し、美緒に見せる。
「……缶詰?」
私は過去を追体験しようと、屋上で食べるためにサバの缶詰を持ってきていた。
私はその缶詰のプルタブを引き上げ、そのまま金属の輪の部分を力任せにねじ切り、美緒に差し出す。
「指輪だよ」
美緒は数瞬だけ驚いて、ケラケラッと笑った。
「バカね! なにかのドラマの真似?」
「ごめん。今は、本当にこれしか持ってなくて」私も笑う。
「でも、次の機会がいつあるかなんて、誰にもわからないだろ。だからこそ、今できる最善を尽くして、伝えたいことを伝えたいんだ」
「変わらないわね。雄二」美緒の頬から一すじ、涙が零れ落ちる。
大好きだよ。
その言葉を遺し、まばたきの最中に少女の姿をした美緒は消えた。
美緒、と私はつぶやき、虚空へ向かって老いた手を伸ばす。
夕暮れは間もなく終わり、完全な夜が空を覆った。
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・執筆時間40分
・日焼け→夕焼け と解釈
・お題提供は下記のサイトを参考にさせていただきました。
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